コルナゴ部長こと中尾公一さんレポート「2020年野焼き」🚴

コルナゴ部長こと中尾公一さんよりレポートをいただきました。
炎をバックに撮った写真はとても迫力がありますね。
黒い草原もまたいいものです。4月5日(日)・19日(日)にも「阿蘇満喫モニターライド」が開催されますので、野焼き後の阿蘇を眺めにいらしてみてくださいね。(詳細はこちら

毎年3月になると草原の枯草に火をつけて燃やす阿蘇の野焼きは、放牧や採草をするため千年前からくり返しおこなわれ、当時と同じ景色が維持されている。その独特の景観は九州随一の観光資源であるとともに、阿蘇は九州の1級河川6本の源流域にあたり、森林と同じく草原も雨水を地中にたくわえる働きにより下流域の人々の飲料水などに利用され多くの人々の生活を支えている。

阿蘇地域には約160ヶ所の牧野があり、野焼きは牧野ごとに牧野組合員や地区の方によって行われている。しかし、農業の変化や農業従事者の減少のため人手不足となり、現在はボランティアの応援により実施されている。

今年の野焼きは天候に恵まれず4回延期され3月21日に阿蘇市一帯で行われた。月2回開催する「阿蘇満喫ライド」は、予定していた22日が雨天予報によりこの日に変更したため偶然にも千年前と同じ阿蘇の景色を参加された皆さんと一緒に目の前で見ることができた。

ライドのコースは二重峠からやまなみハイウェイまでのミルクロードは、時間帯により全面通行止めとなるため、通行規制がない阿蘇駅前から草千里・阿蘇山西駅へ続く坊中線(県道111号)に行った。案内したのは野焼き体験のある私と、元牧野組合員の下城さん、それと今回参加してくれた現役牧野組合員のSHO君の3人で、道路の両脇も燃やすため状況を判断しながら米塚の野焼きをメインに道の駅阿蘇をスタートした。

絶好の天気のなか女性も2名参加された。
私が初めて参加した狩尾区の野焼きの感想は「伝統的なルールで成り立っている神事」という印象だった。家族や親戚のような血のつながりがある地区の人々が代々受け継がれる自分たちの土地を阿吽の呼吸で焼き払う術は何から何まで驚きだった。平地の見晴らしのいい牧野ではなく山を燃やす狩尾区の野焼きは、火を入れると一瞬で斜面を燃え広がり熱風が発生し熱さと煙と煤で視界が効かなくさえなる。その速さによる動揺や燃える際の落石により怪我人はおろか死者まで出る危険な作業だが、枯れた草が勢いよく燃え、草の芽吹き始めるまでの2月3月中に野焼きをしなければならない。そのためすべてを優先する野焼きは「ひとつになれ」という古来からの教えのようであった。
今回は野焼きを見る側となるがこのことを思い起こし案内した。

昼食はコース的にとれそうにないので道の駅阿蘇で補給食を準備した。おにぎりやパンもいいが、阿蘇の昔ながらの「ゆでだんご」は、農作業の際に持ち運びが良く手っ取り早く腹を満たすもので薄くてジャージのポケットに収まりサイクリングには打って付けだ。ジェルやエネジーバーなどは激しいライドやレース用にして、ゆったりとした阿蘇ライドには地元の物を食べてみるのも面白いと思う。

阿蘇らしい饅頭ならカライモと餡子の「いしがき万十」がおすすめ。

夏目漱石「二百十日」記念碑(漱石が阿蘇登山中に遭難しかけたところ)の入口を過ぎて草原の開けた景色になると野焼きが始まっていた。

放牧の牛は安全なところに避難、先に見えるのは北外輪山で煙が上がっている。

眺めの良い大曲りに来ると往生岳の麓や道路付近それに米塚の近くからも煙が上がっている。

牧野の方が道路脇から火を入れている。道路に炎が来ないよう1mほど草が刈られている。

野焼きを見に来たバイクや車が増えてきた。同時に路上駐車を注意するパトカーが往復する。

昨日から天気が良かったので草が乾き一気に燃え広がるとウサギや鹿がどこからともなく出てきて近くを逃げまわっていた。それを見て阿蘇草原再生協議会会長で全国草原再生ネットワーク会長である高橋佳孝さんの地元紙「原っぱにいざなわれ」の投稿を思い出した。

「縄文時代には、後世の焼き狩りのように狩猟目的で野火が放たれ、草原が維持されてきたのではないかという見解が定説になりつつあります。阿蘇の外輪山上に旧石器時代以降の長い時代にわたり、人々が生活したことを示す遺跡が多数存在することはその意味からもとても興味深いものです。その後の文献資料によれば、阿蘇の草原は古代には牧(放牧地)で駿馬が飼われ、中世には狩猟をともなう神事が行われ、近世以降は緑肥、屋根材、牛馬の飼料を得るために使われてきました。」(熊日新聞より抜粋)

風がなかったのに草原に燃え広がると上昇気流が発生し熱風が吹き荒れる。

熱風は瞬く間につむじ風となり、立っていられないほど、煙と灰で目を開けられない。

高巣さんが走り出す。

熱いよ!

これが坊中線の魅力。

米塚のビューポイントに到着、しばらくしたら米塚が燃え始めた。
ここで「中尾さん!」と声を掛けられたのは、元阿蘇市広域消防本部で、県の防災消防航空隊としてヘリコプターに乗り、防災・消防・救助に経験豊富な薄井さんがいらして、タイミングよく安全に迫力ある野焼きを見ることができた。

風下から放たれた炎は並びながらゆっくりと上へ上へと燃え広がる。

半分焼けた状態が絵になる。

炎を避けて反対車線に避難していたが道路脇が燃えたので走ってみた。

これまでに経験のない興奮、異次元の迫力に感動、この達成感はなんだろう。

往生岳!
あそこまで人が登って火を入れているのか…

杵島岳にも火が放たれる。

下城さんが安全を確かめて女性の方を案内。

下野線と合流する手前には多くのカメラマンが並んでいた。多分常連の方だろう一列に並んで米塚の野焼きの風景を撮られていた。

火が消えると熱風が止み静寂が訪れる。
実に不思議な世界だった。

臨時休館から営業再開した阿蘇火山博物館で休憩した。火山博物館の「火口中継コーナー」では、世界唯一のオールチタン製フルHD超高感度カメラ(約60㎏)が導入され火口のライブ映像を見ることができる。火山活動の影響で火口に行くことができない現在はここでリアルな火口体験ができる。

迫力のある噴煙を見ることができるフォトポイントのヘリポート広場に移動したが周辺の野焼きの煙で見ることは出来なかった。阿蘇ネイチャーランドのアドベンチャートラックは、走行する山が燃えているため一時営業を中断されており、野焼きが終わったら営業再開されるとのことだった。野焼きで真っ黒になった山を走るのも一度体験したいものだ。

ヘリポート前の一直線の道路脇が燃やされていると1台のバイクが猛然と炎の中に突っ込んでいった。

ラピュタ(狩尾峠)付近とミルクロードの東側の野焼きは2回経験し、北山展望所で何度か見学をしたことがあったが、見晴らしのいい大パノラマが眺望できる坊中線の野焼きは初めての体験だった。

草原に火が放たれると、つむじ風が吹き荒れ、枯草が轟音とともに唸るように燃え広がる。その突風でヨナや、灰や燃えカスが舞い上がり、目や鼻や耳を襲い視界が妨げられる。道路脇が燃え、なだらかな草原が燃え、米塚が、往生岳が、杵島岳が、そこらじゅうが炎と煙に…まるで爆撃されたかのよう、まさに映画で見る戦場の光景のようだった。
と、空には観光ヘリだろうか、防災ヘリだろうか、それとも取材のヘリか黒い煙の上で爆音とともにヘリコプターが舞ってきた。「ワルキューレの騎行」さえ鳴り響くなら、まさにコッポラの「地獄の黙示録」の戦場そのものだった。やがて坊中線一帯の火が消えると急に静かになり平穏が戻った。そんな映画の特撮のような異次元の世界をロードバイクで走る感動は阿蘇ならではの体験だった。参加された方も語り尽くせないサイクリングになったのでないだろうか。

減少していく阿蘇の草原、その危機的状況の草原を守るための3つの取り組みがある。(環境省 九州地方環境事務所 阿蘇自然環境事務所 発刊「いざ草原へ」より)まずは阿蘇に牛が増えることで草原の利用が増えるという「牛を増やすこと」、次に草原の文化にふれ地域と草原の関わりを知ってもらうという「草原に親しむこと」、最後に阿蘇の水と緑を国民みんなの財産として守っていくために、野焼き作業の人手不足を補うボランティア活動や、草原を守る取り組みを支援する募金の協力という「都市に住むひとたちの協力」がある。

今回参加された方はサイクリングという遊びで阿蘇を走り周り単に見るだけではなく阿蘇の人との出会いがあった。
案内してくれた18歳で阿蘇に移住し町古閑牧野組合で仕事をしているSHO君、東京消防庁、阿蘇市広域消防本部、防災消防航空隊という修羅場をくぐりぬけ現在は阿蘇でボランティア活動をされている薄井さん、そして阿蘇で色んなアクティビティを提供する阿蘇ネイチャーランドの坂田君の3人と少しだけ話をして、野焼きによる草原と地域との関わりをちょっとだけでも知ってもらえたのではないだろうか。このことがほかの取り組みにも理解を示してもらい1ミリでも草原の維持が進んでいくならばと思う。

この日、県外ナンバーのバイクは多かった。でもいつもの阿蘇と違うのはレンタカーが少ないこと、それと阿蘇駅と阿蘇山西駅を往復する登山バスは、こんな天気のいい日には満席近いのに左前にくまモンが座っているだけでガラガラだった…そう、外国人がいないのだ。草千里を歩く人も少なくて大型バスもいない。外国人で賑やかな阿蘇駅も静かだった。世界中どこにでもある空前絶後の明日が見えない現実だった。

野焼きの景色を走っているときにFacebookに投稿したら3月に台湾の高雄と台南を一緒に走ったメンバーからコメントがあった。何度も阿蘇を走られた韓国の方からも同じように来年走りたいとコメントがあった。返事は「案内するから阿蘇においでよ」と返事した。とりあえず来年3月には確実に外国の方と走れそうだ。もちろん日本の方からも多くのコメントがあって、野焼きの後の草原が緑の絨毯に移り変わる阿蘇ライドは今後も開催したいと思っている。

地獄の黙示録は幻想だったが「ワルキューレの騎行」の主旋律は野焼きのイメージにジャストな曲だと思った。大観峰からの日の出のシーンはピンク・フロイドの「エコーズ」、行けなくなったラピュタの夕陽はプロコル・ハルムの「青い影」、そんな万国共通の名曲をBGMとした動画で阿蘇を紹介したいというのが夢だ。カタチが変わってきている。今までとは違う切り口がこれからの課題じゃないだろうか。

 

☆☆阿蘇アクセスルートのおススメはこちら!☆☆

 

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道の駅阿蘇(NPO法人ASO田園空間博物館)

TEL:0967-35-5077

HPhttp://www.aso-denku.jp/

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あかうしのあくびvol.25

 

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