朝鮮出兵の際、敵に囲まれ絶体絶命の危機にあった加藤清正公は「よもやこれで最後か」と思った瞬間、背後から飛んできた矢によって退路を開かれ逃げることができました。その時拾った矢を陣に戻り見てみると「阿蘇山長善坊」と書いてありました。
その後、肥後に入った清正公は本当に長善坊があるかを確かめるため阿蘇に出向きます。長善坊を見つけた清正公は長善坊の僧侶と会います。そこで長善坊が護摩を焚いているときに朝鮮で清正公が危機に陥っていることを神仏に知らされたこと、護摩炉に紙吹雪を吹きいれそれを矢として朝鮮に飛ばしたことを聞きます。清正公はその霊威に驚き、豊臣秀吉に阿蘇山の三十六坊の復興を願い出、これを許されました。そして、阿蘇山の三十六坊五十二庵は復興されたのです。
そのとき清正公が乗ってきた馬をつないだのがこのイチョウです。別名「駒つなぎのイチョウ」ともいいます。