みなさんこんにちは!
お外が気持ちいい季節になりましたね。
のんびりとお外ご飯なんていかがですか?
本日ご紹介するのは、「道の駅阿蘇」が発行するあかうしのあくびVol.30でご紹介しております、「的石御茶屋跡」とその奥に鎮座する「隼鷹天満宮」です。
取材をしたのが、冬だったため今はもっと緑にあふれていますが、どんな季節でも美しい場所です。
まず、みなさん歴史は好きですか?私は学生時代、地理とかのほうが好きで、日本史とかあまり興味がなかったのですが、歳を取るにつれて歴史の面白さに惹かれつつあります。
なので、私のような方のためにまず参勤交代とは、というところから
簡単に♪
歴史好きの方からしたらそんな基本から?!と言われるかもしれませんが。。。
参勤交代は、徳川幕府により江戸時代に制定された制度です。開府は1603年、制度としては、3代将軍家光の時、1635年に確立したといわれています。各藩の大名は幕府への忠誠を証明するため、1年おきに江戸幕府に参勤することになりました。
旅費から、江戸の滞在費まで(1年!)全部各藩持ち、、、、1年おきにこんな大きな出費ですから皆さんなかなかお金は溜まらない。かといって、正室の奥方とお世継ぎは江戸に住まわされているし(人質。。。)行かないわけにもいかない。地方の軍事力を蓄えさせないことが目的だったといわれていますが、その効果は十分にあったようです。
なぜ参勤交代の話をしたのか。それは、この度ご紹介する「的石御茶屋跡」は肥後熊本藩のお休み処だったからなんです。
熊本城を築城したのは、加藤清正ですが、清正公の急逝により11歳の若さで継ぐことになった三男、忠広の代に、家臣を統率できなかったとか、法度違反とか諸説はありますが、加藤家は改易を言い渡されます。1632年、変わって熊本城主となったのは細川氏、参勤交代でこのお茶屋を使っていたのは、細川氏ということになります。
熊本城から江戸までの道のり。。。想像しただけでも気が遠くなりそうですが、すべてを歩くのではなく、大分から大阪までは瀬戸内海を船で渡っていました。
熊本城札之辻から大分の鶴崎港まで31里(124km)。豊後街道、参勤交代道は今の国道57号線とは重なるところも多少ありますが、基本的には違うルートとなっているんですよ。
熊本城を出て1日目の夜は大津の宿で一泊。
2日目の朝、二重の峠を越えます。現在のミルクロードにほぼ合致します。一番高いところで標高700m近く。。。たくさん荷物を持って足袋や、裸足で歩いていたのでしょうか、お殿様のお駕籠も担いで??やっとこさ、峠を越えて、無事阿蘇谷に到着。そして、たっぷり2時間のお昼休みを取ったのが、こちらの「的石御茶屋」になります。
もともと小糸家のお屋敷があったところを、細川のお殿様がお休み処として気に入られ、以降、小糸家はお茶屋の当主に任命されました。1697年のことです。現在でも14代目となる方が御茶屋跡のお世話をしてくださっています。
2時間もお休みになるとは随分ゆっくりですよね。2日目のお宿は内牧。的石御茶屋が8里半ほど、内牧が10里なので、午後は1里半、お宿までは午後に6kmほどほぼ平らな道を歩けばいいだけですが、2時間もお休みとは、ここに何があるの?と思われるかも。。。
行って見たら分かります。
その答えはこれ。
水って不思議ですよね。ずっと見ていても飽きない。。。
特にこの場所はきれいな水があり得ない量でどんどん湧いていて、贅沢にお庭の中を流れて行っています。
私も2時間、十分ここにいられると思います。スマホなんてなくても。ていうか、そんなふうに休みたい☕
実際にお茶屋として使われていたお屋敷が、震災前までは残っていたのですが、2016年4月の熊本地震で壊れてしまいました。ただ細川のお殿様も眺めたであろうお庭はほぼ当時のままで残っています。
本当にきれいなところ。。。
「あかうしのあくび」掲載のため取材でお話を伺ったのは、的石区長様でもある畑本芳輝様です。
「道の駅阿蘇」のサテライトとしては、今回の「的石御茶屋跡」と「隼鷹天満宮」そして、阿蘇の神話に出てくる「的石」と、3か所のサテライトの代表をしてくださっています。
的石御茶屋跡と隼鷹天満宮は同じ場所にありますので、的石御茶屋跡に来られたら、是非、参道をずっと奥まで進んでくださいね。こんこんと流れ来る水のもとをたどる感じです。
途中にこちらのベンチとテーブルがあります。
お弁当持参ならこちらでゆっくりできます。
お隣には代々御茶屋の当主であった小糸さんの高野槙もあります。
樹齢はなんと300年!
ここからお茶屋も見えています。
そして、水の音と鳥の鳴き声に癒されますよ~。
さらに奥に進むと、鳥居と拝殿が見えてきます。
それにしても、水!と来るたびに思います。参道に沿ってずっとかなりの量が流れています。写真だけでは伝わらない、何とも言えない水の音とマイナスイオン感。是非実際に訪れていただきたい。
取材に伺ったのは1月だったため、鳥居をくぐったらうっすらと雪が積もっていました。
思わず区長さんも、お~このかんじもいいなあ~と。愛を感じるつぶやき。
天満宮の横に池があります。あまりにもきれいに空が映りこんでどっちが上か分からなくなるくらい。錦鯉が逆に見えないレベル!
私はこの水は山のほうから流れてきているのかと思っていたのですが、こちらの池が水源なのだそうです。流れる水の量を見ていると、すごい湧水量なのが分かりますね。
こちらの水は御茶屋の前にある田んぼ、(そのまま前田と呼ばれているそうです)に使われるそうです。
空梅雨でも心配なしですね!
隼鷹天満宮の由来については、1700年に細川氏御一行が参勤交代で大分から大阪へ船で向かう際、船が嵐で転覆しそうになったが、どこからともなく現れた白い鷹が船の先に止まった途端、嵐が急におさまり、無事航行をつづけることができた。その晩、細川氏の夢に的石御茶屋奥の天満宮の鷹が現れたため、昼間に命を救ってくれた白い鷹はこの天満宮の権化だったのだとの暗示を受け、江戸に着くのも待たずに、京都から神殿の建立を命じたとあります。この時から隼鷹天満宮という名前になったそうです。
参道を歩いてきたときに最初に見える拝殿は、2016年の熊本地震の後に再建されたものですが、その後ろにある神殿は何度か修復はされているものの、当時の建造物なんだそう。ということは300年か。。。歴史を感じますね。
さらには池のほとり奥の小さな祠には、お殿様の夢の中に現れた鷹にまつわる岩が祀られていました。
境内も一か月に一回は、地域の方で綺麗にされているそうです。あまり完璧にしすぎず、自然な感じを残しつつ、とのことでした。いつ来ても、手入れが行き届き、自然と調和した美しい場所です。
水の音を聞きながら、参道を歩いて戻ります。
駐車場前からもこの景色!
このあたりからみる阿蘇山は涅槃像のようには見えないのですが、この
長ーい裾野が見渡せる景色が私は好きです。
お茶屋からもこの景色、見えていたのでしょうか?
湧水に阿蘇山の雄大な景色、いつまでもいたいお休み処ですね。
うららかな春の日、清らかな水音を聞きながら「的石御茶屋跡」「隼鷹天満宮」でのんびりしてくださいね^^
「的石御茶屋跡」「隼鷹天満宮」
住所:阿蘇市的石
専用駐Pあり(普通2台、身障者1台)、トイレ併設
満車の際は的石公民館向かいの空き地にも止めていいそうです。
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