コルナゴ部長こと中尾公一さんから最新レポートが届きました!!「楽しいサイクルライフのための輪行の魅力」です。
ご覧ください☆彡
10月に飛騨・高山の観光を兼ねてFDA、フジドリームエアラインズの「スポーツ用自転車搭載サービス」の体験と自転車乗りなら一度は上ってみたい乗鞍に行って来た。11月にはアマチュアサイクリストの甲子園といわれる「ツール・ド・おきなわ」市民100kmに8回目の挑戦をしてきたので合わせてレポートする。
飛行機輪行において自転車へのダメージが少ないプラスティク段ボールケース「バイクポーター」を貸し出してくれるのがFDAの「スポーツ用自転車搭載サービス」だ。空港まで車や自走で行って、チェックインカウンターでケースを受け取り、前後輪外してケースに入れて手荷物として預け(20kg以下無料)、空港に到着したらケースを返却する手ぶら輪行ができる画期的なサービスだ。利用に関しては予約が必要で詳しくは下記サイト参照の程。
スポーツ用自転車搭載サービス | 航空券予約・購入はフジドリームエアラインズ(FDA) (fujidream.co.jp)
チェックインでバイクポーターの予約を伝えると、用意してあったバイクポーターをスタッフの方が持って来られて収納作業をする場所を教えてくれる。
ホイールを入れる仕切りがないので折りたためるホイールカバーや緩衝材があったが安心。ヘルメットやシューズも余裕で入る。フタはマジックテープ。
私は電車やバスなど手元に置いて輪行する場合は、ロードバイクのボトルケージに収納できるモンベルの輪行袋を使っている。国内航空路線は輪行のダメージを防ぐため、ウレタンクッション製のOSTRICH(オーストリッチ)OS-500だが、たたんでも大きくなるため自走では運べず、移動には袋をロッカーに入れるか、担いで車や電車になる。
飛行機輪行の際には、前後輪とペダルを外して私はリアディレィラーも外している。
台湾の太魯閣ヒルクライムでは、バスや電車の移動があったのでOS-500で輪行したが、ダメージが予想されるハワイやジロのときは、袋の中で自転車を固定出来て、前後輪は外すがブランケットやシートポストはさわらずに収納できて、キャスター付きで移動が楽なScicon(シーコン)のエアロコンフォートにした。最もダメージのリスクが少ないのは段ボールかハードケースになる。
では乗鞍遠征に戻ろう。
これはFDAの機内誌「ドリーム3776」。
ノンフィクション作家の野地秩嘉さんがこの本に掲載する牧野ライドの取材に来られたので案内した記事が掲載されていた。取材中に野地さんと話していると、「中尾さんは俳優で友人の國村隼さんに似ていますね!」と言われた。そんなことは今まで言われたことはなかったのでピンと来なかったが、「彼は熊本の八代の生まれなので親戚じゃないですか」なんてずっと真顔で話されていた。國村さんは大好きな俳優で映画やテレビの出演もだが、実はサントリーオールドCM「娘の相手」編が一番好きで、あの渋い演技とセリフが素晴らしくて、浮かれた気分になった。そんなことを思い出しながら名古屋空港までCM挿入歌の「ダンダンドゥビー」のフレーズが頭の中で繰り返していた。
空港には岐阜の友人が車で迎えに来てくれて3日間お世話になった。初日は世界遺産合掌造り集落の白川郷へ案内してもらった。
訪ねたのは和田家。展示の資料には合掌家屋の1階が住居で2階3階では養蚕が営まれ、床下では蚕の糞に桑の葉や山草に人尿をかけて当時では稀少だった火薬の原料が製造されて和田家は栄えていたという。
白川郷荻町合掌集落、日本の原風景のような穏やかなかやぶき屋根の床下では、江戸・明治時代に鉄砲の弾を飛ばすための火薬の原料が製造されていたとは、ここに来なかったら知ることがなかっただろう。
2日目はいよいよ乗鞍アタックの日、前日の初雪で乗鞍岳は雪化粧していた。
スケールの大きな景観は感動の連続だった。
コースは標高1460mの乗鞍観光センターからスタートする20.5km、獲得標高1260m、平均勾配6.3%となる。走り出してすぐにシカラバの林の紅葉に見とれた。
茜色のカラマツ林の下には雪が残っていた。しばらく上っていると・・・
ゲートを警備する方が今朝撮った写真を見せてくれた。
この雪なら諦めがつく、
初の乗鞍は8kmで終わった。
時間が余ったので白骨温泉で立ち寄り湯を楽しみ上高地まで足を運んだ。最終日は新穂高ロープウェイに乗って名古屋空港まで送ってもらい乗鞍遠征が終了した。
3年振りの開催となった第34回「ツール・ド・おきなわ2022」は、例年より参加者の募集を減らしたにも関わらず210km以外定員には達しなかった。理由はコロナ感染への不安や参加費の値上がり、それに3年振りという期間が空いたことなど人の考えが変わったこともあるような気がする。例年、市民レースの選手受付は前日のみだったが、今年は前々日に加えて事前登録すれば時間外受付も可能になったためだろうか会場となる名護市屋内運動場はひっそりとしていた。
沖縄にはレースの3日前からスタート地点に近い沖縄本島北端にある国頭村に滞在した。11月なのに昼間の気温は30度近くになりまさに亜熱帯、林の樹々からは「カーン、カーン」とオオシマゼミの鳴き声も懐かしい。3年振りの国頭村は、途中にできた大きな「道の駅おおぎみ」には月日を感じたがそれ以外は当時のままだった。
8回目の民宿「やんばるくいな荘」も何も変わってはいなかった。宿のお母さんが作る土地の料理も素朴な味付けが実に美味しくて滅多に食べない大盛りのご飯が心地よく腹におさまった。
レース前夜は結構激しく雨が降っていた。朝方まで止まなかったので道路はウェット状態に間違いない。沖縄の舗装は濡れると滑りやすいので下りは飛ばさないと心した。ジャージは初めて参加した時から着ている地元のサイクルショップ「バイスクルキッズ」のチームジャージで、8回目となるとゼッケンを付ける安全ピンで背中は数カ所破れているが、それが何となく御守りみたい思えて今回も新調せずにいた。この沖縄ブルーの御守りの効果は、沿道のメンバーからの応援と冷たい飲み物の補給、それに今年は袋に入れた氷まで用意されていた。
番越トンネル付近でメンバーの方に撮ってもらった一枚。
100kmのレースは、210km・140kmの集団が通過して、国際女子・市民100kmオープン、私のカテゴリーの市民100kmマスターズの順でスタートした。今年から1カ所関門は減って4カ所になったものの制限時間は決まっているので遅くスタートする方が不利となる。
厳しいレースだったが何とかギリギリで完走できた。
スタートして40kmまで全然走れなくて、どうなることかと思っていたところ、60kmくらいから調子が戻っていい感じで走れて遅れを取り戻した。ところが安部の関門近くの80km地点で脚が攣り始め苦しい後半となったが、長い上りの途中からやや復活してゴールすることができた。
結果は3時間58分、完走者140名中136位で完走率は74.8%、60歳以上は私を含めて3名、優勝はチームGINRIN熊本の左迫間さん(41歳)で2時間48分だった。
市民100kmには阿蘇満喫ライドで一緒に走ってくれる井上君と、よく参加されるkeiさん、田尻君、それに国際女子でミユキさんが走られた。「ツール・ド・おきなわ」はレース部門50km、100km、140km,210km以外にも50km、90km、173kmのサイクリング部門があり、例年市民100kmを走られる高巣さんは、仕事が忙しく練習不足のためサイクリング部門の173kmを走られた。
それぞれ制限時間は存在するがサイクリング部門はゆったり目に設定されておりエイドステーションが数カ所ある。レース部門の上位狙いはガチレースだが、それ以外は自己記録の更新や私のように完走を目指す方もいて、この大会を年間目標に練習されている人も多いようだ。
また、家族旅行の機会とされている方もいて、私もゴール後に家族と合流して沖縄旅行を楽しんだり乗鞍遠征には家内も一緒だった。いずれにしても自転車旅や遠征には輪行が必須で、私のように単独では不安な人は仲間さえいればジロ・デ・イタリアやツール・ド・フランスだって夢ではない。ある程度、自転車やパーツなど揃えたら、「モノ」から記憶に残る「コト」もいいのではないだろうか。
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