コルナゴ部長こと中尾公一さん最新レポート「阿蘇カルデラの成り立ち」

コルナゴ部長こと中尾公一さんから最新レポート「阿蘇カルデラの成り立ち」が届きました。

それではご覧ください。


阿蘇カルデラの北側、阿蘇谷のほぼ中央に独立した3個の小高い丘のような山体がある。ひょっこりひょうたん島と2つの島という感じにも見える3つの山は、本塚・北塚・灰塚と呼ばれ、総称して本塚火山と呼ばれている。昨年12月にASO田園空間博物館主催で阿蘇ジオパーク推進協議会の永田紘樹学芸員さんを講師に、阿蘇カルデラの成り立ちを学ぶ牧野ガイドスキルアップ講座が開催され、本塚で地層を見ながら屋外講座が開かれた。


永田さんが案内されたのは本塚の麓にある地層が露出したところだった。平たいカマで地層をけずって見やすくされると、黒や赤の火山灰の層の間から細かな年輪のようなものが見えてきた。それをたどっていくと小さな軽石の層が出てきて手にすることができた。この軽石は溶岩が水の中でできる時の特徴であり、なかには小さな軽石がバレーボールほどの大きさに集まった地層もあり、永田さんはここは最近発見されたものでカルデラ湖の存在を示す貴重なものであると説明された。

2021年、小笠原諸島の海底火山の噴火により、大量の軽石が沖縄県や鹿児島県奄美地方の沿岸に押し寄せ、その後は関東や伊豆諸島沿岸等にも次々に漂着したニュースは記憶に新しいが、まさにあの時に映像で見た軽石だった。


本塚の高所には通常の陸上溶岩が分布していて、阿蘇谷がカルデラ湖であった時代に水底で噴火し、山体が水面に出てからは通常の噴火を行ったことを示している希少度の高い場所だと話された。時代にして約4万年前のことだそうである。今後、本塚一帯は阿蘇ジオパーク推進協議会と熊本大学により調査される予定であるという。


阿蘇火山は約27万年前から4回も大噴火をくりかえし、約27万年前をAso-1、約14万年前をAso-2、約12万年前をAso-3、約9万年前をAso-4と呼ばれている。阿蘇の巨大なカルデラをつくりあげたAso-4の大噴火では、火砕流は山口県まで到達し、火山灰は北海道で15cm降り積もった。


阿蘇地域は2012年の九州北部豪雨や2016年の熊本地震により甚大な被害を受け復興を急いだ。その中でカルデラの西側の2020年に開通した国道57号北側復旧道路の二重峠トンネルに続き、カルデラ東側で外輪山を超える厳しい上りが連続し、降雨量が多いと通行止めになる国道57号の滝室坂をトンネルで結ぶのが滝室坂トンネルだ。

滝室坂トンネルは、大分県と熊本県を結ぶ延長約120kmの中九州横断道路にあり、工事は阿蘇市一の宮町坂梨と阿蘇市波野の両側からカルデラ壁を掘り進み、昨年8月に避難抗が開通し、その際のズレは9mmだったという。本坑の工事は順調に進み開通すれば平均勾配4%・4.834mのトンネルになる。


また、阿蘇火山の成り立ちを解明する上でも阿蘇谷の人々が生活する噴火前の先阿蘇と呼ばれる約45万年の地層から、Aso-1、Aso-2、Aso-3、Aso-4までの約36万年間の歴史を幅12m・掘削断面積107㎡という大規模なトンネル工事によって、地下の溶岩や地層の状態など目の当たりする極めて稀なものでもあるようだ。

少し前になるが工事中の滝室坂トンネルを見学する機会があったので紹介しよう。
訪ねたのは阿蘇市波野の大成・杉本JVさんの事務所で、国土交通省の永松さん(左)よりトンネル工事の経緯や概要をお聞きしたあと、永松さんと大成・杉本JVの田端さん(右)の案内で波野側より本坑のトンネルに入り、本坑の開通はまだなので途中から開通した避難抗を通り本坑に出て坂梨まで、掘削の工法や最先端の技術など田端さんより詳しく説明していただいた。

ちなみに永松さんが持たれているのが本塚で発見され、小笠原諸島の海底火山の噴火で沖縄の海岸を埋め尽くしたあの軽石の大きなもののようだ。田端さんが持たれているのは鉄じゃないかと思われるくらい重たい溶岩で、この2つの石の比較により滝室坂トンネル工事現場の見学と、阿蘇火山の成り立ちという視点を持つことができた。


事務所に入ると窓側に地学の教室を思わせる溶岩のサンプルが並んでいた。これは滝室坂トンネル工事の際に掘り出された阿蘇火山の成り立ちを秘めた4つの時代の溶岩と、その上の半円の写真は採取された時のトンネル工事の地層である。


大きな多孔質の溶岩の軽石の時代はAso4A、約9万年前に水中でできた溶岩なのか。


Aso4/3。
粘土質で柔らかい。


ではいよいよ波野側からトンネルへ。
Aso1、約27万年から4%の下りで1m/80年のジューヌ・ヴェルヌの地底旅行だ。ヘルメットをかぶり用意された車でスタートする。トラックやコンクリートミキサー車が出入りするので道は悪い。トンネル内では車両事故を避けるためクラクションを2回鳴らす安全確認や運転手同士の目視で意思を確認することが徹底されていた。


地下に進む。幅12mのトンネルは想像以上に広くLEDのライトで照らされる。上の大きな配管は坑内に新鮮な空気を送るとともに、汚れた空気は集塵機でろ過してから外に放出している。車から降りると確かに風を感じた。


工事はNATM(ナトム)という約40年前日本に導入された山岳トンネルの掘削工法により波野側から4%の勾配で掘り下げされている。油圧ショベルの先端に取り付けた切削チップ(歯)が配列されたドラムを回転しながら地盤を削り取りながら掘削していく。硬い地層では切削チップでは困難になるため、ドリルジャンボという機械で掘削の最先端箇所にダイナマイトを装填し1回の発破で約1m進んでいくという。


掘り進んだら1~1.2m間隔に鋼鉄製の支保工を建込み地盤の荷重を支えて、長さ8mのロックボルトを打ち込みトンネル全体を補強し掘削からロックボルトの打設までを繰り返しながら掘り進む。これを傘の骨のような仕組みからアンブレラ方式と言われていた。


青いのがすべてロックボルト、以前は人力だったが現在は機械で打ち込んでいく。


コンクリートを吹き付けたあとは防水シートでトンネル全体を覆う。床部の地盤が不安定な箇所では、インバートというコンクリートを打設してトンネルをリング状の構造にしてより強固なものにする。地盤の安定したところのトンネルはカマボコ型だが、崩れやすいところはそれが円柱になっているということらしい。


最後に仕上げとなるトンネルの覆工コンクリート打設には、移動式の型枠(スライドセントル)で一度に10.5mの壁面を構築していく。

移動式の型枠でコンクリートを流し込む前の鉄骨を入れる作業は手作業となる。


本坑最先端。


ここにも掘削の際に出てきた溶岩を年代別に見ることができるようにしていただいた。やはり事務所より掘り出されたトンネルの中の方がよりリアルである。


ポロポロ崩れる溶岩もあれば、


硬く重い溶岩は、


避難抗が貫通した時の溶岩だ。


地底でのレクチャー


ここまで徹底して現場視察を迎えてくれる関係者の皆さん感謝しかない。


連絡抗から車を4駆に乗り換えて避難抗へ、こちらの路面は悪く4輪駆動での移動が理解できた。


スタートしてから146,320年タイプスリップして到着したのは、滝室坂トンネル避難抗が2022年9月4日に貫通した地点。波野側から1829m、坂梨側から3069m、総延長4898m、相互からの掘削の誤差は9mm。


貫通した際の石はこのようなきんちゃく袋に入れられて地元の小中学校の生徒さんに配られた。トンネルが開通した地点で採取された石は「貫通石」と呼ばれ安産のお守りや、関門突破・初志貫徹の意味につながることから合格祈願のお守りにもされている。
滝室坂トンネル工事関係者の地元への細やかな配慮はここでも見ることができた。


避難抗から坂梨側の本坑に戻ると右側にベルトコンベアがあった。坂梨側のトンネルの出口には民家があり、トラックが往来すると騒音や揺れを伴うので、掘削した際に出た溶岩や土を細かく砕いて運ぶということであった。


45万年前の地到着、地底探検終了、太陽の光がまぶしい。トンネルから出るとすぐに1分間に3000㎥空気を送る送風機があり、トンネル内で工事するために最も大切な役目の機械があった。トンネルの上には1.5mくらいの太めの木を横にして両端が角のように切ったものがあった。その先には祠みたいな四角いものが見えたので尋ねると、化粧木(けしょうぎ)と呼ばれるもので山の神に工事の安全を願いうものとのことだった。送風機と化粧木という対称的な安全を担う2つの鎮座が誇らしく見えた。


大分市から熊本市に至る無料の約120kmの地域高規格道路、中九州横断道路は竹田まで開通しており、現在は竹田阿蘇道路(約22.5km)、滝室坂トンネルを含む滝室坂道路(約6.3km)が事業中で、その延長線として九州自動車道につながる大津熊本道路[合志・熊本](約9.1km)は今年2月に都市計画事業承認が告示された。これにより大分駅と熊本駅を結ぶ豊肥本線と組み合わせたアクセスにより、多様なツアーの提案や沿線には台湾TSMCに続く半導体関連企業の進出があり渋滞の緩和にもつながることだろう。

中九州横断道路の線上にある滝室坂トンネルには、今回見学した阿蘇火山の約36万年間の歴史を紐解く溶岩や地層の資料が豊富にある。現在はプレハブの現場事務所やトンネル工事現場の片隅にあるが、誰もが親しみやすい切り口で公開されたらと思う。

滝室坂トンネルを見学に行った際には、溶岩や阿蘇の火山活動の歴史についてあまり興味がなかった。しかし、阿蘇ジオパーク推進協議会の永田紘樹学芸員さんの講義を本塚の現場で聞いて、観葉植物の底石に使うような小さな軽石が、約4万年前のものとは驚きだったが、カルデラ湖の存在を示す証拠であることを知ると一気に「石」にハマっていった。そして、国交省の永松さんが手にされていた大きな軽石、あれは現場事務所のAso4のところにあったので約9万年前のものらしいが、阿蘇火山の4回目の大噴火により失われた世界の一端を見ることができるのだろうか・・・

 

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