コルナゴ部長こと中尾公一さん最新レポート「ツール・ド・おきなわ2023」が届きました!
亜熱帯の森を走る本格的なレースの様子をお伝えいただきます!
それでは、お楽しみください♪
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11月12日、沖縄県名護市を中心に沖縄本島北部地域で開催されるサイクルロードレース「ツール・ド・おきなわ」(Tour de Okinawa)に、私と井上君とみゆきさんの阿蘇満喫ライドのガイド3名が100kmのカテゴリーに参加してきた。
例年、この時期の沖縄は30度近い気温のなか、上り坂の獲得標高は1900mと厳しく、コース上にはチェックポイント(打切関門)が設けてあり、制限時間内に通過しないと失格となるため完走目的の私たちにとっては体力の限界に挑戦するレースだ。
私は今回が9回目の挑戦になるが厳しいレースなのにリピートしてしまう魅力がある。それは封鎖された亜熱帯の森で体験できる本格的なレースであること、次にロードバイクのシーズンが終わろうとしている時期に再び夏に逆戻りする心地良さ、そのような緊張と気持ち良さを味わえるツール・ド・おきなわは、自分の目標を決めて1年間練習に取り組むに相応しい大会であり、阿蘇満喫ライドに参加される方にもお勧めしたい大会だ。また、多くのカテゴリーの中でも市民100kmは、戦略性とレースと対峙する時間がちょうどいいのでその点少し詳しくレポートしたいと思う。
この大会は国内における市民レースの最高峰として絶大な人気を誇り、ホビーレーサーの甲子園と呼ばれている。そのアマチュア最強を決める200kmを筆頭に140km、100km、50kmの4クラスが市民レース部門に用意され、自らの走力に合わせて参加することが出来る。市民レース200kmは名護をスタート&ゴールとして山岳横断が2回あり競技力のある選手が競い合う。
市民レース140kmは沖縄県の最北部にある国頭村の「道の駅ゆいゆい国頭」をスタートして市民200kmと同様に山岳横断が2回あり、体力や経験、駆け引きなど実力が試されるハードなコースで名護にゴールする。
市民100kmは沖縄本島最北端、辺戸岬を超えてさらに7km、唯一のアクセス道路となる国道58号の起点となる沖縄本島最北端の集落、奥の「奥ヤンバルの里」がスタート地点となる。山岳横断が設定されてレース中盤からアップダウンが続き、本格的なレースを体験できるコースで名護にゴールする。私たちがエントリーした40歳以上のマスターズ部門は市民200キロに次ぐ人気で、例年8月1日12時からエントリーサイトが開くと当日定員に達してしまうほどの人気でエントリーする時から勝負が始まる。
市民レース50キロは、手頃な距離と名護をスタート&ゴールとするため参加しやすく、9つのカテゴリーがあり市民レディースレースもある。
アジア、ヨーロッパ、日本のプロチームが参加する国際レース部門には、UCI公認の男子チャンピオンレース200km(市民レース200kmと同じコース)と女子国際ロードレース100km(市民レース100kmと同じコース)があり、日本のロードレースシーズンを締めくくる大会となっている。
前日に開催されるサイクリング部門には、自然をあふれる本島北部地域の海岸線沿いを1周する「やんばるセンチュリーライド173kmや、ロングライドの登竜門のチャレンジサイクリング90kmも走り応え十分だろう。
家族で参加できるものとしては、離島を走るファミリーサイクリング(50km)と、離島で1泊2日のサイクリング(60km)があり、南国リゾートの沖縄を楽しみ尽くすコースが用意されている。
私と井上君がエントリーするのは市民100km、みゆきさんは女子国際ロードレースなので同じコースになり、関門は5カ所あり制限時間内に通過しなければならない。制限時間を超えると大きな赤旗が振られ、ゼッケンを外して「失格者」となり回収バスに乗ることになる。ちなみに無念の悲しさで乗り込むこのバスは通称「お通夜バス」と呼ばれている。
カテゴリーは高校以上の男子のオープンと、私たちがエントリーする40歳以上の男子のマスターズで、スタートは男子チャンピオンレース200kmがここを通過した後になり、最初に女子国際ロードレースがスタートして、市民100kmのオープン、最後にマスターズの順となり関門の時間は決まっているのでマスターズが一番不利になる。コースは奥ヤンバル里から南下しながら名護市の21世紀の森体育館にゴールする。
私たちみたいな完走狙いは、各関門の時間の他にそこまでの距離を見ながら走る必要がある。右側の関門の時間と手書きの距離を書いたメモをハンドルに貼ってサイクルコンピュタ―を見ながら走ることになる。
では100kmのスタートライン立つまでの少し複雑なアクセスについて説明しよう。
例年、市民100kmに出るために那覇空港に着いたらレンタカーを借り、前々日と前日に受付がある80キロ先の名護市屋内運動場へ行き、受付を済ましてレンタカーは大会駐車場の名護漁港に停めて前泊する国頭村の民宿まで30km自走していた。
大会当日は民宿から暗闇の中を2km自走してシャトルバス乗り場のオクマリゾートホテルに行き、自転車はスタート地点の奥まで行くトラックに預け、リュック等の荷物は名護市の会場まで運ぶトラックに乗せてゴール後に受け取り、スタート直前まで必要な補給食や防寒着を入れた最終アタックバッグを持ってシャトルバスに乗り込み30キロ先のスタートラインに立っていた。
しかし、今年の沖縄は前日から雨の予報なので自走は止めて、名護で受付後は事前予約制のシャトルバスで国頭村の民宿に向かい、自転車はスタート地点の奥で受け取るトラック輸送にした。レース当日は民宿の前に6時過ぎにオクマリゾートホテル行きのマイクロバスが迎えに来るのでそれに乗る行程にした。
名護から民宿のある国頭村まで自走していた理由は、国頭村にレンタカーを置くとゴール後に国頭村に行くシャトルバスは無く疲れ果てての自走になるためだ。それと車の少ない南国の海岸線を前日にサイクリング出来るからと、当日オクマリゾートからのシャトルバスは5時30分から運航しており、早く乗ることによりスタートまで3時間以上待機する奥ヤンバルの里の建物内や軒下の快適な場所を確保できるからだ。今回、シャトルバスに乗れたのは6時30分頃だったので、奥ヤンバルの里の雨に濡れないところに空いたところはなく、近くの奥共同売店で何とか雨を凌げるところを見つけたのでそこで過ごした。
前々日に沖縄入りしていた井上君とみゆきさんと名護市の会場で合流して、代わりに受付してもらっていたのですぐに組んだ自転車にゼッケンと計測チップを装着してトラックに預けた。(私たちは梱包なしで無料、専用段ボールで梱包する場合は3000円)
すでに会場でも雨が降っており、私がハンドルに貼ったパソコン印刷の紙は滲んでいたので、みゆきさんが用意されていた関門の時間が書かれた防水のメモをフレームに貼り付けた。
当日、雨音は夜半から聞こえていた。国頭村の民宿では5時に朝食を用意してもらいレインウェアを着て6時過ぎに来るマイクロバスに乗車、オクマリゾートホテルに到着すると、100キロにエントリーするほとんどの選手がここに集まるので、次々に到着する自走やタクシーで来る選手で熱気を帯びていた。雨はずっと降り続けバスの曇りガラスを見ながら憂鬱な時間がやり過ごしているとウトウトと寝入った。
奥に着くと雨だが明るくなり1年振りに再会する自転車仲間と大いに盛り上がった。私は名護で自転車を預ける際にボトルは外すよう言われて2本のうち1本を忘れてしまった。レース中のボトル補給は65kmの慶佐次なので1本だけでは足りないため前日に同じ沖縄のチームメンバーに相談して当日受け取ることができた。国頭村でもスタート地点のここでもボトルを手に入れることはできないのでチームの有難さを痛感した。
2016年の大会ではスタート30分前にリアタイヤの空気圧が気になったので、人から借りたポンプで空気を入れバルブチャックを外した瞬間にバルブのトップナットが吹っ飛んだ。場所が芝生だったので探すことができず途方に暮れていたところ、メンバーがどこからともなくチューブを手に入れて事なきを得たことがあった。パンクしたら終わりと覚悟を決めているので、レースにはパンク修理セットは持参しないが、ここでも最終の荷物の預かりができるのにオクマリゾートホテルでトラックに預けた失敗と、レース直前に余計なことをしたことを以後教訓とした。
雨は止まない。
雨の中走ることになってテンションは下がり気味だが全員ヤル気は満々である。スタート時間が迫ってくると止むどころか雨は強く降り出した。気温は18度、それでもほとんどの人はレーパンに半袖ジャージが多い。スタートしたら4.5キロ上りが続くからだろう。でも寒がりの私は薄手のウィンドブレーカーを脱がなかった。この大会は1分1秒が大切なのでサイクリングのように途中止まることはあり得ないが、暑くなったら止まってからでも脱ぐリスクを選んだ。
昨年の奥ヤンバル里、今年は「カーン、カーン」と大合唱するオオシマゼミの鳴き声が聞こえない。本来ならこのような青空の中、国内最大級の亜熱帯照葉樹林の森、やんばるを走るはずだった。「やんばる(山原)」とは、「山々が連なり森の広がる地域」を意味し、一帯はノグチゲラやヤンバルクイナをはじめとする多くの固有種が生息している。今年は持ち越し来年の楽しみとしよう。
大粒の雨のなか女子国際ロードレースがスタートした。
みゆきさんも慎重にスタート。ずっと雨だったのでアップする人が少ない上にスタートするまで濡れ続けて、身体が冷えているため直後の混戦は危ない。このあと市民100kmオープンが出て私たちのマスターズが並んだ。以降写真を撮る余裕はない。
私は極力濡れたくなかったのでほとんど最後尾からのスタートになった。先は長いので慌てたくもなかった。持ってきた機材はコルナゴM10にカーボンホイールのリムブレーキなので雨の日のブレーキの効きは良くない。ディスクブレーキの集団では要注意と心した。滑りやすい沖縄の道の下りは単独で慎重に走ることにした。そのかわり身体は雨で熱くならないので上りはペースを決めて強めに走ることにした。
キング三浦さんこと三浦恭資さんからアドバイスをいただいていた。
「ペースで走って、残り30km全開で。最初に走れる選手に無理して着いていくと後半失速して前半稼いだ時間を失います、後半上げた方が絶対楽に追い込めます、エネルギー(補給食)は忘れずに入れ続ける事を忘れずに」
教えの通り走った。
ゼリーは4個と顆粒のクエン酸1袋。水はボトル1本ともう1本にはメダリストを入れた。この大会でキモになる足攣り用にはツーラン3袋とザオラル・リカバリーソルト2袋。50キロ地点で攣りそうな前ぶれがあったがザオラルで回復、脚の攣りの苦しみは知っているので、その後はツーランを落とさないように袋を口に咥えて、フラットな落ち着いたところで1錠ずつ取り出し舐め続けた。
足攣りには私の場合一定の法則があって、何度か前ぶれがあると坂を上ったあとの気を抜いたときにいきなりやってくる。過去何度も沖縄で攣ったが、あの痛さでも足を回せば必ず消える。しかし、左右の腿、ふくらはぎに転移していき、そのたびに顔をゆがめ、痛さに耐えてペダルを回し続ける。ただその力は弱々しいもので後続に越されて行くが絶対に自転車からは降りない。すると奇跡のように傷みが消え、沖縄の風を感じることが出来るのだ。こんな練習しないので本番ぶっつけではあるが。
事前に教えてもらっていた通り、
慶佐次の補給地点でキッズの応援団が見えた。
大城店長は右にいてトラブルがないか叫ばれていた。
もしメカトラがあったらその場で修理してくれるのだろう。
左側の大会スタッフから水のボトルを走りながら受け取った。
その先に青いキッズジャージを着た人たちが並んでいた。
「ドリンク、アクエリあるよ!」とボトルを差し出されている、
その先には「コーラ!」
思わず、「下さい!」と叫ぶ。
無事、手にできた。
蓋は空いている。
小さな缶コーラ、握りやすく量もちょいうどいい。
口に流し込むと清涼感とコーラの甘さがカラダに沁みわたった。
こんな美味いコーラ生まれて初めてだった。
空き缶は投げ返してよかった。
沿道のみなさんからの途切れない応援は有難かった。ガードレールを叩く応援、エイサーで使われる手持ちの片張り太鼓パーランクーの軽快で乾いた音も心地よかった。キッズジャージだったので沿道の方々から「キッズ頑張れ!」の応援は力が湧いたし、キッズ特典の蓋を開けたコーラの補給は最高だった。生き返った。スイッチが入って疲労の膿が消えた気分になった。羽地ダム近くでは名前を呼んで応援してもらい鳥肌が立った。
新たな気持ちで先を急いだ。
次の安部の関門までの18キロが大切だ。
私の自転車に貼った関門のメモをのぞき込む人がいて、
「あと何分残ってますか?」と尋ねられた。
この間の上りが厳しくペースは落ちたものの順調に走れた。
上りでは足攣りで自転車から降り苦しむ人が何人もいた。
ここに来るまで下りのコーナでは落車が多かった。
単独ではなく3人くらい巻き込まれているのを何度も見た。
顔から血を流している人もいた。
救急車には一人しか乗れないので次を待つ人が銀色のアルミシートを被っていた。それを見る度に慎重になった。
下りでは追い越されるが上りで倍の人を追い越した。
安部の関門が見えた。
いつもは制限時間近くに通過するのでザワザワしているが、
以外と静か、通過する時には拍手が聞こえた。
海沿いの道になるといい速さのグループに乗った。
最後の番越の関門はどこか判らないが、
周りの人からもう大丈夫と言われていた。
最後にフラスコに梅丹を溶かしたリポビタンDを飲んだ。
終わりを告げる長い下り坂になった。
国道58号に出ると一緒に走ってきたメンバーと怪我しなくて良かったと言い合って、片側斜線を封鎖した広々とした私たちの雨で濡れたレッドカーペットを威風堂々と並んでゴールした。同時にスタッフの方からキッズメンバーの女子国際の方が医務室に運ばれたと呼びかけられ、自転車の預かりとチーム責任者への連絡を頼まれた。よってその対応に追われ表彰式のステージで真が撮れなかったがチームでの行動を優先した。
みゆきさんは昨年より42分短縮して完走された。ゴール地点には沖縄出身の元プロロードレーサー内間康平さんがみなさんを迎えてくれていた。
井上君も私の次にゴール。
3時間49分でゴール、150位、普久川の関門は1時間10分、宮城が2時間17分だった。
私程度の体力だとカテゴリーとしては100kmがいい。50kmはあまりにもあっけないので表彰台狙いの方だろう。最短で前日沖縄入りして受付を済まし、当日レースが終わって帰ってくる1泊2日の弾丸をされている方も多い。今回で9回目だったが年間目標にする価値はある。スタート地点に立つまでが面倒な100kmであれば私たちがサポートできるので阿蘇満喫ライドに参加される方はご一考されたらどうだろう。この大会の前後のことをSNSでアップしたら阿蘇満喫ライドによく参加される3名の方が意思表示をされている。
レース後は1年間応援してくれた家内と合流して翌日に那覇から宮古島に行った。那覇空港では男子チャンピオンレースで優勝したチーム右京の山本大喜選手とお会いするオマケまでついた。
宮古島では天気に恵まれて気温は昼間30度くらいになったが、空気が乾燥しているのと、心地よい風でとっても過ごしやすかった。家内とは午前中一緒に過ごしてランチの後は、私はサイクリング、家内はレンタカーで観光やショッピングで過ごした。
ウェディングフォトで人気の与那覇前浜ビーチでカップルに遭遇、私の自転車を見て新婦の目がキラキラしていると思ったら、新郎は140キロの選手だったとのこと、自転車のまさかの縁で話が盛り上がった。
ツール・ド・おきなわは2013年に55歳で市民100キロに初挑戦した。
沖縄まで遠征して、それもレンタカーや自走やシャトルバスなどスタートに立つまでが複雑な行程と、周りの自転車仲間にも敷居の高いレースなど全く視野になかった。ところが単身赴任で福岡に来られたチームキッズの方と阿蘇を走る機会が縁で、「那覇空港に着いて見送るまで完全サポートする」という言葉に甘えさせてもらい初挑戦にして完走することができた。
以降、「コト」の体験に目覚めてツール・ド・おきなわが年間目標になった。
この大会に備えて1年間の練習スケジュールを組み自分の目標を目指すことがメリハリのある習慣になった。ただし、エントリーするには簡単ではない。練習以外にも今のうちから家族サービス、無駄使いしないで貯金、仕事を休むための仕事、休めるようになるための仕事をする、これも必要になってくる。
今回が9回目の沖縄だった。2015年はスタート時間が遅く完走率24%で足切りになり本気で泣いた。でも以降は運よく完走することができて達成感の幸せに浸ることができている。パンクや落車でリタリアはもちろん、1年間頑張ってきた人がスタートして1kmでチェーンが切れて終わった自転車仲間もいた。強い人なのに気温10度前半の生活から30度弱の沖縄を全力で走ると、水分補給不足や大汗で両足が攣り、棒立ちで走れなくなった人や、四つん這いで地面をたたいて泣いている人もよく見掛ける。
逆に自分の目標を勝ち取った人は、ゴール後満面の笑顔で節制が解かれ、暴飲暴食の夜になり、その後もしばらくはレースを振り返る快感に浸れる。いずれも自分の責任、自分の努力の結果、負けても勝ってもこんなに体験は沖縄以外にないと私たちは思っている。阿蘇満喫ライドの冬季以外の走行距離は80~100キロと沖縄も想定しており、ロジスティク以外にもみなさんの来年の挑戦の糧になればと思う。
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