コルナゴ部長こと中尾公一さんから最新レポートが届きました!!
その名も「阿蘇満喫グラベルライド試走~豊後街道編~」です。
現在、グラベルライド開始に向けて着々と準備が進んでおります(≧◇≦)
グラベルライドのご案内開始まで、今しばらくお待ちください。
コルナゴ部長と新たなガイドも加わり、皆さまを安全に、楽しいライドの旅へご案内いたします★
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4月から開催の阿蘇グラベルモニターライドの2回目試走に行って来た。
今回は江戸時代に熊本藩主、加藤清正によって拓かれ、参勤交代の道として利用された豊後街道の三久保から狩尾までのグラベルと少しだけだが石畳、そして階段区間の3.2kをメインに、その先にある本格的な石畳を見学するコースを試走してきた。
豊後街道は、熊本城から熊本藩の所領(飛び地)の豊後鶴崎(大分)を結ぶ全長約124kmの街道である。当時、熊本から鶴崎まで4泊5日で九州を横断したあとは、鶴崎の港から海路で瀬戸内海を通って大坂に至り東海道で江戸に向かっていた。熊本から江戸までの日数は早くて27日、悪天候になると55日かかったといわれている。
未舗装路走行を目的とするこのライドは、慣れている人はロードでも可だが、故障等は自己責任で修復できる人に限り、グラベルロードまたはMTBを推奨していることから、私と下城さんはMTBで、井上君とミユキさんはグラベルバイクで試走している。しかしこの日、井上君がグラベルバイクで出ようとしたら、金属片がタイヤに刺さってパンクしていたため急きょMTBに乗り換えたので、ドロップハンドルでオフロードを走るグラベルバイクでのコース検証はミユキさんだけになった。【未舗装路を走れるバイクのない人は道の駅蘇のe-MTB(有料)レンタルできる】
この日はコースの打ち合わせもあったので内牧に着いたら昼食を取った。訪ねたのは地元の方が多い阿蘇プラザホテルの前にある阿蘇綜合食品市場だ。市場の名の通り地元食材を販売されているところで食堂を兼ねたディープな店になる。
店に入ると小さなスーパーという感じだがテーブルと椅子があって食堂にもなっている。
弁当やホルモン煮込みや天ぷらなど総菜もあってかなりの人気のようだ。
これがメニュー。無料の味噌汁はセルフでお代わりできる。
私は肉うどん。肉がたっぷりでお母さんが作った優しい味だ。
ミユキさんは野菜炒め定食、ボリュームたっぷりでこれが650円。常連の方も注文されていた。下城さんはかつ丼、井上君はカツカレー、全部美味しくてリピート必須の食堂だ。定員は12名くらいか。満腹になったところで試走の続きだ。
ここが三久保にある豊後街道の入口。歩いて登る田子山の「そらふねの桟橋」の入口にもなるので歩行者に注意が必要。豊後街道は加藤清正が1588年に初めて肥後国に入国した際に通った道であり、後に清正によって拡張され肥後国と豊後国との間の結ぶ主要な街道となって1635年から1867年までの約200年間続いた参勤交代のメインルートだ。
森の道に分け入ると緩やかな上りが続く。ロードバイクと違って樹々に遮られて風の音はなく、タイヤが石や小枝を踏む音だけが耳に残る。これがグラベルライドだ。奥へ、奥へと引き込まれるように進んで行く。
田子山のそらふねの桟橋の登り口から先は、こぶしくらいの石が転がる荒れた下り道になり、グラベル本来の爽快感とスリルを感じることができる。ミユキさんのグラベルバイクも問題なく未踏の地をグイグイ走るようだ。
しばらくグラベルを走っていると御堂があった。
立札には「切通地蔵」とあり、「豊後街道を通ってお伊勢参りに行く人をみんながこの地蔵のところまで見送りしていた」と書かれていた。ご存じの通りお伊勢参りとは、三重県の伊勢神宮に参拝することや参拝するための旅のことであり、江戸時代に伊勢神宮に行くのは時間的にも費用的にも困難を要し一生に一度は行きたいものとされていたという。
伊勢神宮は2019年に972万人もの参拝者が訪れており現代でも人気観光地だ。では江戸時代は一体どのくらいの人がお伊勢参りに行ったのか。ネットで調べると最も多くの参拝者が訪れたのが1830年と言われているそうで参拝者数は500万人前後。当時の日本人口が約3千万人と仮定すると、なんと6人に1人が参拝したことになる。どれだけ多くの人々が「一生に一度はお伊勢さま」に憧れていたかがわかる。
しばらく森の中を走っていると開けたところに出る。太陽光発電で山を切り開いたところだ。ここが唯一阿蘇五岳を眺めることができる。豊後街道沿いは戦後の植林された杉に覆われているが、400年前はこれと同じ景色を駕篭に乗った殿様が眺めていたのかも知れない。古道を走っているといろんな想像が湧いてくるのも魅力だ。
ほんのちょっとだけの石畳区間に着いた。タイヤが滑りやすいので要注意。
その先に長い階段セクション。
最初は急な段差が落ち葉で見えないので押して降りていたが、階段幅は広くなったところで乗ってみた。
かなりの連続した衝撃が続く。
MTBに慣れている人は最も楽しめるセクションになるだろう。グラベルバイクはサスペンションがないので厳しくて最後まで自転車を降りるか、担ぎかが無難かも知れない。
水無川の段差区間
ここは担ぎで渡ろう。担ぎはグラベルライドのアクセントになる。ただし、MTBは重くて持ちにくいがグラベルバイクはそれも前提としたコース設計ができる。
担ぎが終わると竹林の木漏れ日の中を走る快適なグラベル区間になる。
並んで話しながら気持ち良く走ることができる。この先で狩尾峠、ラピュタの道を横切って149号へ。
すぐ近くのカフェ「TORQUE(「トルク」)で気分直しのお茶休憩にした。バイク好きの方に人気の新しいカフェのようだが、食事もできるし眺めも良くて自転車乗りもおすすめの店だ。
TORQUEの情報はこちらhttps://torqueaso2023.wixsite.com/torque
TORQUE から149号を車帰方面に進み、参勤交代の休憩場所として使われた的石御茶屋跡の先にある参勤交代道の石畳駐車場(トイレあり)から豊後街道二重の峠石畳になる。写真は駐車場から少し入った坂下お茶屋跡。立札には駕篭据場と書かれ、石畳の急坂を登る際の休憩したところだろうとあった。ここから石畳の上りになるが急なので行けるところまで押し歩きで行ってみた。
ずっと上っていると採石場の道に出た。ここで一旦石畳は無くなり、その先から石畳が続いていたが残雪が深いのでここから折り返した。
石畳に残雪の下りなので慎重に歩いて降りた。
これが400年以上前に造られた現存する石畳の道だ。
石畳の整備や修理は公役として農民に課せられていた。この上の二重の峠付近にある阿蘇市教育委員会の看板には、二重の峠から12kmも離れた岩坂村という現在の菊池郡大津町に合った村に峠付近の整備が割り当てられていたと書かれていた。
側溝も整備されている。
石が敷き詰められたまさに古道。この道を駕篭を担いで行き来していたとは信じられない。
今回の豊後街道の試走は、狩尾のラピュタの道に交差するところまでは何度か走って少しの石畳は見たことがあったが、参勤交代道の石畳駐車場から続く本格的な石畳に行くのは今回が初めてで、その迫力には全員驚いた。
前回試走した田んぼ道で内牧に行き、三久保から豊後街道のグラベルと石畳からの階段と担ぎの渡河、柔らかい日差しが漏れる竹林のグラベル、ホッと一息のカフェ。そして400年前思い起こしながら歩いて散策する石畳みの古道、のんびりとした田んぼ道と黒川沿いの道を探しながら道の駅阿蘇に帰った。点が線になり古道を巡るグラベルコースの青写真が出来た。あとは退屈にならない歴史の勉強を少しと、遊びの区間を考えて膨らませれば完成だ。熊本藩の参勤交代の人数は、少ない時で600名、多い時は2700名もの大名行列だったようだ。豊後街道は上方や江戸へ一般の人たちの往来する道としても賑わっていたのだろう。そんな時代の今も残る石畳に触れてタイムスリップするサイクリングが歴史の道を走る愉しみだ。それにこのような機会がないことには訪ねることもないだろう。グラベルライドという新しいサイクルスポーツにより一人でも多く豊後街道の魅力を体験してもらえればと思う。
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