コルナゴ部長こと中尾公一さんレポート「梅雨の晴れ間の満喫ライド」が届きました。
梅雨の時期は天気予報と睨めっこになりますね。
毎月開催している満喫ライドの日がお天気に恵まれると嬉しいですね♡
ご覧ください。
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梅雨の晴れ間に恵まれて7月6日に阿蘇満喫ライドを、翌7日には阿蘇満喫グラベルライドを開催したのでまずは6日のライドから紹介しよう。
数日前から続いていた雨は空の霞をすっかり流し落とし外輪山や五岳が迫るよう近くに見え、特に根子岳と高岳の樹々のないむき出しの山肌を露わにした山容は神聖にさえ感じた。その鮮やかで遠近感覚を強調した風景に合わせるように、参加者はあざやかな黄色のマイナビ ツール・ド・九州アンバサダージャージを着た人もいて昨年の阿蘇ステージの興奮がよみがえるようだった。
コースは後光の差したような阿蘇五岳をずっと眺められるよう逆時計回りで周回することにした。道の駅阿蘇から旧登山道で坊中線に出て、赤水線のダウンヒルで南阿蘇へ降りたら、アンバサダージャージのみなさんの期待に沿えるように、今年のマイナビ ツール・ド・九州のゴール地点になる南阿蘇村役場から途中まで逆回りに走り、阿蘇谷へは暑くなる午後に備えて日陰が多く高岳の景観が素晴らしい日ノ尾峠というこの日最もふさわしいルートを選んだ。
旧登山道は、いこいの村跡をスタートする阿蘇パノラマヒルクライムのコースに2.2km・150m上ると合流して、そこから600mで坊中線に合流する。車はほとんど通らず日陰が多いので夏の阿蘇を攻略するにはおすすめだ。
坊中線に出ると予想通り素晴らしい景観が待っていた。阿蘇サイクリングの定番の道だが阿蘇観光のメインルートになり、11時前には車やバスが多くなるので、なるだけ早い時間に走ると絶景を独占することができる。
今回の写真はonimasa1111さんから提供していただいた。
一眼カメラは素晴らしいが、やはりセンス、風景の切り取り方の良さに尽きる。
長雨でふっくらと丈が伸びた草が生き物のように風で波打つ・・・
これだけでもワクワク感半端ない。
この日は牛より馬が多く道沿いで草を食んでいた。
米塚の写真を撮っていた倉敷のマニアックなロード乗り(右から3人目)に着ているジャージのことで田代さんが話し掛けられた。待っていたとばかりに打ち解けて、阿蘇は感動の連続だったこと、次回は自転車仲間を誘って来たいと熱く話された。
今朝早くにミルクロードも走られたそうだ。
「絶叫しました?」
「はい」
「どんな?」
「キモチエー!と思わず叫びました!」
「正解。」
このあと坊中線のダウンヒルを楽しんで次の宿泊地の湯布院に自走で行かれるそうだ。そんな意気揚々とした満面の笑顔の人に出会うと、ほっとひと息、そんな気分になれる。
坊中線から赤水線と149号の快感に浸れるダウンヒルで南阿蘇村へ。325号の手前から左折して2022年春に開校し、国内と海外学生によるIT人材と観光サービス人材を育成する専門学校「イデアITカレッジ阿蘇」の前で少し学校の説明をして 、今年の ツール・ド・九州ゴール地点の南阿蘇村役場から逆回りのコースを走った。
今年のコースは瀬の本からずっと下りで阿蘇谷、山岳に入る箱石峠までは同じで厳しい波野周回から265号と農免道路の下り、あとはこのような比較的狭い道の平坦路になるので箱石峠と波野周回は踏ん張って集団に食らいつき、最後の狭い農道から149号に出てゴールまでの2.5kmが観戦もしやすく勝負ところと期待したいものだ。
農道から39号に出て久木野のいちご農家さんで水を補給。
39号から28号が本コースだが暑くなってきたので手前から井手沿いの道で高森に向かった。
リニューアルした南阿蘇鉄道 高森駅へ到着。
着いた時にはあまり人はいなかったが、子供にも大人にも人気の観光列車、「サニー号トレイン」の到着時間になるとどこからともなく人が集まってきた。
サニー号トレインは満席のアナウンスが流れていた。フランキー像の前は記念写真の順番待ちになり、外国語も飛び交いワンピースの集客力には驚くばかりだ。
南阿蘇鉄道は2016年「CYCLE SPORTS 5月号」の取材で初めて紹介した。タイトルは『大分〜熊本「九州横断やまなみハイウェイ」をゆく』、まさかこんなに変貌するとは思いもよらず、立野から輪行旅と日本一長い駅名の「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」が前面に出る内容だったと思う。ライターは阿蘇サイクルガイド本でもお世話になった栗山尚久さん。栗山さんとの出会いは自転車を始めた翌年の2008年に私のブログがきっかけだった。その後、2011年にラピュタの道を取材してもらったり、劇場版弱虫ペダルのコース、復興に向けて熊本地震で通れなくなったラピュタの道のお知らせと安心して走れるサイクリングルートの紹介、当時「イチ」が流行っていたので「アソイチ」なんかもあったして、とにかく現在までお世話になっている。
ランチを予定していたマリさんの白水郷アートプレイスが満室だったので高森駅前の「食事処忠(なり)」に行った。ここは「ホルモン味噌煮込み」が人気らしく、暑くて濃い味が美味そうだったので全員同じものにした。ホルモンは肉厚で味噌はピリ辛で暑さに萎えた身体にジャストミート、スプーンが添えてあったので後半は雑穀米ご飯を投入するとこれが大正解だった。ダブルアントレ的な「うどん」は、つゆが塩分補給できて最後の一滴まで飲み干した。
南阿蘇方面でのランチは、人数が多くてもイートインができていたパンダイゴのオーナーが、乙姫のコスギリゾート内のベーカリーカフェに転職されたので閉店し、昼食難民化していたところ高森駅周辺には食事処が増えてエイドスポットになった。以前は来た時は人数が多かったので忠の前の王來軒ラーメンと分散したが、人数次第では好きなところで食事して高森駅集合もいいかも知れない。
食事の後は高森駅でマルキチ醤油のアイスを食べて日ノ尾峠に向かった。峠へのアプローチは防災道路の「サクラミチ」、もしくは「根子岳さくら通り」とも呼ぶらしい立派な道だ。高森町の観光マップでこの道がサクラミチであること、そして防災道路であることを知った。2012年の九州北部豪雨、2016年には熊本地震で根子岳が崩れ、高森町や麓の集落が被害を受けたことから、2020年、国による緊急避難道路「町道西原・日ノ尾峠線」として開通。高さ1.5m×幅3mの側溝が付帯し自然災害が発生しても根子岳からの濁流が集落へ流れ込まないように造られている。
沿道のしだれ桜は、近くの大阿蘇造園さんが出荷するため根元から掘った出荷直前のしだれ桜が新型コロナウイルスの影響により大量にキャンセルになったことから植えられ、その後も植樹を続けて1万本の桜が並び名所になっている。
鍋の平キャンプ場を過ぎると牧場になり、普段は道沿いに放牧の牛がいるのにこの日姿はない、糞もない。途中に防災工事があっており、工事車両が行き来していたので離れたところに移動させているのだろうか、道に寝ている牛も定番なのでちょっと残念。
久し振りに上る日ノ尾峠はけっこうな勾配が続き、なかなか厳しかったが日陰が何よりの救いだった。それに工事車両が通るためか道の両側を整備して広くなっていたので走りやすかった。
途中、足が攣った清水さんもニューバイクのシェイクダウンで元気に上って来られた。
この日の清水さんを見ていて、ある程度の機材への投資は、ココロと脳へのエネルギーになって、翌日は最適なコンディションが得られるのではないか、それが自転車。
景色のない日ノ尾峠頂上(下記地図青枠)。
到着すると全員汗が噴き出したが、林道部分だけが丸く空洞のようになっているので、風が不規則に通り抜けて感動するほど気持ちよかった。こんなモードがある空調機があれば売れるだろうと笑いながら話した。かって日ノ尾峠の頂上付近は牧野が広がり、左右に根子岳と高岳、南側には高森の街並みまで見えていたというが今は樹木に覆われて想像さえつかない。
波野在住の岩下平助氏著書「根子岳山麓に生きて」には峠の麓にあった集落「日の尾村(新所村)」のことが書かれている。昭和27年まで日の尾在住の大正生まれの方によると、日の尾村には多い時は37戸の世帯があり、鍛冶屋、寺子屋、藍染用の小屋には大きな樽、それに集落共同の葬祭用の漆塗りの本膳80組があったという。
登山家北尾鐐之助著「根子岳-雨の日の尾峠」(大正8年8月10日付け)は、北尾が案内人を伴い宮地駅から高岳登山を目指した当時の日の尾村のことが書かれている。峠の七八合目で萱(カヤ)切りして、覆いかぶさるほど萱を背負った馬を連れた農家と出会うとシーンでは、「馬の群れは幾十頭、幾百頭となく続いた」とあり、「阿蘇山麓から南郷谷まで放牧の馬が見られた」と書かれ現在は樹木に覆われているが当時は広大な牧野が広がっていた。
また、厳しい環境にあった日の尾村については、
「日尾(日の尾)峠のすぐ真下、噴火峯の北側に巣を作ったその日尾村。そこは僅か十七八戸の寒村で、火山灰の土を耕して、少しばかりの唐黍(トウキビ)や、甘藷(サツマイモ)などを作っています。家も人も大噴火の『ヨナ(火山灰)』 を冠り、毒煙に包まれながら、そういう瘠地(せきち:やせている土地)にも人が住んでいました。」
「根子岳山麓に生きて」より転載した日ノ尾村周辺地図(上が阿蘇谷方面、下が南郷谷方面)
4月に開催した阿蘇満喫グラベルライドのコースが、阿蘇谷から日ノ尾峠を上り2軒目の茶店(黄枠印)から左折して日ノ尾村跡に入り、天狗神社(赤枠)を訪ねた。
以下「根子岳-雨の日の尾峠」より茶店について。
「峠の下の茶店に休んで、その茶店の主人の先祖というのは、阿蘇家の藩士として、有名な家柄であるというような話も聞きました。昼頃の膳に載った、痩せた馬鈴薯の一片にもこの人達の土地に対する執着の寂しい影がありました。」
日ノ尾村拡大図
この地図を頼りに日ノ尾村に調査に行った。村の形跡は⑪天狗堂(天狗神社)と那須家の墓地、堀山天神とその位置を示す銀杏の木だけだった。昭和19年、沖縄首里第二小学校の1年生から6年生の学童62名と引率教師2名が遊雀小学校に強制疎開された。2年後、全員が故郷沖縄に帰り以後、遊雀小学校創立百周年記念行事をきっかけに交流が始まった。当時、日ノ尾村の釣井氏が2名の生徒(九手堅憲夫氏・照屋朝睦氏)を預かられ、九手堅との書簡によると日ノ尾村は明治の頃には36軒あったが当時は4軒であったこと、毎週月曜日になると日ノ尾村から馬に乗って学校に通っていたので他の生徒からとても羨ましがられていたという。そのような生活の記録が岩下氏の本に紹介されているのでとても興味深い。
箱石峠を通る265号が昭和38年に開通するまで、阿蘇谷と南郷谷を結ぶ唯一の道がこの日ノ尾峠越えであり、南郷谷の人々が阿蘇神社詣でや宮地の役場へ往来する古道だった。
森を抜けると草原景観が広がる。
振り返るとこんな景色
別荘付近からの牧野と高岳の眺めがこの日最後の絶景だ。
道の駅阿蘇近くの昭和を残す南冷菓店のかき氷でこの日のライド締めた。
どれにするか悩むので左から順に頼むのがおすすめ。
今の時代に椅子に座って250円のかき氷
7月6日阿蘇満喫ライド終了。
これも阿蘇らしい写真、onimasa1111さん、ありがとう。
爽快なパノラマラインの景色、ちょっとだけツール・ド・九州の気分、定番エイドスポットになった高森駅と活性化した駅周辺、そして日ノ尾峠の厳しい上りと古道の歴史、そんな梅雨の晴れ間にサイクリングした権利としてカラダに沁みわたるかき氷でフィナーレとなった。
阿蘇満喫ライドの目安の距離は100kmでコースを考えているが、この日は猛暑が予想されたので無理せず60kmだった。100kmの意味は私がツール・ド・おきなわ市民100kmに毎年エントリーしているということもあるが、2007年から自転車を始めて自分の選択肢のなかでいろんな大会を経験して、年間目標に値するマストなものがツール・ド・おきなわ市民100kmだと思っている。
そんなことを言い続けて阿蘇満喫ライドに参加される方が過去6名の方が市民100kmを走られ、この日ご一緒した方も今年エントリーを表明されている。私は今年10回目を迎えるがこの大会は手強い。なぜなら休憩なしで100km走り続けて、下り以外は脚を休める走りを封じて、ボトル補給さえ走りながらの練習なんてすることもないからだ。でもやろうと思えばツール・ド・九州の今年の周回コースとなる波野周辺には、止まることなく走れる15km程度の周回コースはいくつでもあるので沖縄を想定した練習は可能だが完走目的なのでやろうとは思わないし、やる必要もない。ということで毎度その時勝負で楽しんでいる。
ツール・ド・おきなわのエントリーが8月1日から始まる。弾丸でも1泊2日とそれなりの出費という壁はあるが、ゴールした時の達成感は半端なく1年に1回だけ自分を心底褒めることができる。そんなこの大会を走る5つの理由で終わりにしたい。
①上りスタートなので危険でないこと
②制限時間内の完走を目指しているので上りは頑張って下りは慎重に走れること
③全力で走る場合100kmというのがちょうどいい距離であること
④南国沖縄という転地療養で気分爽快
⑤11月開催なので大会が終わったらロードはシーズンオフ!
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道路情報や店舗情報など道の駅阿蘇Facebook、道の駅阿蘇ホームページでもお知らせしておりますのでご活用下さい。
道の駅阿蘇(NPO法人ASO田園空間博物館)
TEL:0967-35-5077
阿蘇市内の地図はコチラから
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